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『ダダにとって、文字化とは… 2002年8月26〜27日の日記より』
【1】 ケネス君の『ぼくのアスペルガー症候群』を読んでいて、思ったこと。 あとがき(本書を読んで)をニキ・リンコさんが書いておられて、その中に 「・・・私とケネスくんは、似ているところもあるし、違うところもあります。似ているのは、聞いた言葉が文章になって見えること。・・・」
とあったので、『あっやっぱり…』と思いました。
ダダに関して、syunさんとのメールのやりとりのあと、syunさんの音声の言葉が、ダダの頭の中で、文字化されて理解されているような感覚があったからです。
ATACでの発表は、出来たら、仮説として「話し言葉が文字化される」というところまで、話したいくらいでした。
ケネス君の文章の中には、 「・・・ぼくのふつうじゃないところは、人が話しかけてくると、しゃべっている言葉が文章になってみえるところ。それに言葉を読んでいると、頭の中でそれが聞こえるところ。・・・」 というのがあります。
やっぱり、自閉症の人たちの中には、話し言葉が文字化されて理解されることがあるのだ(全員じゃないけれど…)。
ダダに伝えるとき、文字を使うとわかりにくいことでも、100%近く伝わります。けれども、普段の生活の言葉は、もう文字で書く必要がありません。
スケジュールや、コミュニケーション・シンボルや、これまでの経験の中で、どこかで「一度は文字化され」たことがあるからではないかな…。 まあ、経験も積み重ねているし…。
昨年あたりから、一度文字化された言葉は、次に出てくるときは、文字化された形で、ぱっとイメージできるから、理解が早いという感触があります。
ここで、引っかかったのは、この夏、M養護学校で受けたAAPEPでのことです。ビデオを見直してみました。
・・・指示理解の項目だけ取り上げています。・・・
A、11時15分に音声だけでの初めての指示があります。不安そうに検査者の顔を見ながら、こなします。
B、11時19分に、二つの指示の記憶の場面があります。これは順序が違いました。@→AをA→@としました。
ここまでは、指示は文字化されていません。
C、11時21分に、文字による指示理解があります。パーフェクト!不安はみじんもありません。
ここで、指示が文字化されます。
D、11時44分に、音声による2〜3段階の指示があります。この様子は、もう慣れてきたということもあるけれど、聞いたところから始めるという感じもあるけれど、とてもスムーズに進めている印象を受けました。
2段階のものは、聞いているというよりは、考えています。 3段階のものは、二段階までは理解し、3段階目を忘れているので、ダダが、それほど長いものを記憶できないということだと思いました。
Cで、文字化された言葉は以下の通り
「鉛筆を箱の中に入れなさい」 「ボールをください」 「箱を床におきなさい」 「ドアをノックしなさい」 「鉛筆をください」
文字化された言葉の中で、Dの2〜3段階の指示と共通するのは以下の通り
「箱の中に入れ」 「ください」 「床におきなさい」 「ドアをノック」
「床に起きなさい」が3段階の指示の最後だったので、検査者に確認しましたが、ほかは、不安気な確認はありませんでした。
仮説:
●初めての状況(人、場面)ですから、普段使っている言葉でも、初めて聞く言葉のような感覚になる。または、ブレが生じる。
●対応する人が、文字化してくれる→記憶される。または。ブレが修正される。
●次、同じ状況(人、場面)同じ言葉を聞けば、音声の言語であっても、文字化されたものがイメージできるので、対応ができるようになる。
●また、違う音声の言葉を聞いても、同じような形式での文字化をダダ自身が行おうとするので、やりとりがスムーズになる。
syunさんの場合は、メールという形。話し言葉が打ち出される。
検査者のS先生は、AAPEPのあの横長のカードという形。カードに文字が書かれる。
もちろん聴覚の情報より、視覚の情報の方が、わかりやすいから、ああいう結果になっているのだけれど、でも、単にそれだけなのかな…と。
音声の指示は消えていくから、Bのような逆転が起こるわけだけれど、文字化されていない音声の指示は、より消えやすいといえるのではないかと。
すごくとりとめの無い話ですが、「話し言葉が文字化される」は、ダダとの暮らしで、とても、大きなキーになりそうなのです。
続く…
ハルヤンネ@(有)おめめどう 記
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