石を投げる


 このお話は、2000年12月19日の出来事。ダダが小2ですね。この年も、いろいろあったなあ。

 ダダ家謝りの歴史は、結構ずっとやってます。
 
 いろいろ経験させていただき、自分も、少しずつ前に進む…そんな感じ。

 今読み返してみると、ああ、ここでミスってるなってことも、見え隠れししますが、それは、未熟な私の姿。
 デマンド丸出しで、笑っちゃう。

 小さい頃は、このままでは、どうなるのか?と不安になるようなことあると思います。

 それでも、1つ1つ、丁寧にしていくことで、ずっと続く訳じゃないし、また、違うこともあるし。

 でも、前向き、誠意や丁寧は、悪いところへ連れて行きませんよ。

 困ったことでも、やはり「今を生きる」と、ハルヤンネは、信じています。

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【石を投げる】

 このところのダダの荒れを総まとめにするようなことが起こってしまいました。

 ダダは、最近、朝の準備がスムーズに行きません。

 「さわらないで」「一人で」が多く、そのわりに時間がかかる、細かいところが気になるなど、毎朝家を出るために、かなりすったもんだします。

 昨日の朝も、始まりは、ファミコンのゲームがうまくいかない事でしたが、コントローラーをぶつける、朝食をひっくり返すといった悪態の嵐がやっとすんだと思ったら、最後に、歯磨き粉をつけすぎて、兄貴に怒られ再びムードも逆戻り。
 
 登校途中も、すこぶる不機嫌。もっていたタオルをたんぼに投げ入れたので、いつものように、とりに行かせました。

 それからは、手袋の小指がきっちりおさまらないことに腹を立て、同じ村の子どもたちが、先に行ってしまうことにいらだちを見せていました。

 いつも、別れるところまで来ると、フッと「どうしよう?付いていった方がいいかな?」と不安がよぎりましたが、やはり、こういう機嫌が悪いときでも、ここからは一人で歩くことを定着しないと…と、思い切って「いってらっしゃい」をしました。

 ダダは2,3発私の頬や胸を叩いて、それで、泣き声をあげながら、走って集団の方へ行きました。

 それでも、やはり心配で、道を隔ててあとを付いていきましたが、くだり道を走って下りるダダの姿は、すぐに豆粒になってしまい、集団にとけ込んでしまいました。
 それで、かなり不安な気持ちでしたが、家に戻りました。

 あらかた朝の家事が済んだ頃、案の定、障担から電話がありました。

「ちょっと荒れていたので、心配していたのですが、どうですか?」とたずねると、

 「連絡帳にも書いてあったので、家でなにかあったのだということはわかりましたが、登校時とても荒れていたようで、石を投げはじめ、それが、まずお友達のランドセルに…。それは何ともなかったのですが、次に走行中の車に当てて…大きな石だったそうで、傷を付けてしまいました。立ち番の先生が、その車のナンバープレートを覚えてくださったので、連絡があるかも…と教頭に伝えておきました。やはりお電話がありまして、『立腹しています』とのことです。それで…」

 あとは、ウチとその方との話し合いにまかされました。

 ひゃ〜!いつかこういうこともあると思っていたけれど、ついにきてしまった。

 「人に怪我をさせてしまったわけではない。車なんだ…」と慰めてみても、やはりとても落ち込みました。

 昨日は、ダダ父が家にいたので、話し合った結果…、

 まず、お昼に電話を入れ、夕刻、誤りに行く約束をする。
 菓子折を用意する。
 ダダに、自分がしたことの、結果を分からせるために、「石を投げるとどうなる」の絵を描き説明する。
 ダダに反省文を書かせる。
 夕刻、ダダも一緒に連れていく。車の傷を見せる。怒ってもらう。謝まらせる。

 車に石を投げることは二度として欲しくありません。どれだけ伝わるか、見当が付きませんが、現場を押さえることができなかったので、時間は経っているけれど、「いけないことをした」ということをわかってもらわなければなりません。

 絵入りの説明文は念入りに、考えました。

 お昼に、誤りのお電話をかけると、「わかりました。それでは夕刻またご連絡ください」と比較的明るい、穏やかな声でしたので、何となく気分が和らぎました。

 下校時は、ダダはとてもテンションが高い。転がるように坂を下り、そのまま離れて走って家まで帰りました。

 連絡帳を読むと、登校したときは、給食エプロンを濡らしてしまったり、興奮気味でしたが、授業は気持ちも切り替え、落ちついてすごせたようです。

 先生が「朝のうちに『石は投げません』『エプロンは濡らしません』と一度に二つの注意になるけれど、やはりしておきました。ダダくんは、『ごめんなさい』をくり返していましたが、顔は笑っていました」と書いてくださっていました。

 家に帰り、しばらくゲームをして落ちついた頃、ダダを座らせて、絵を描いた紙を見せ、話しをしました。

 けれども、聞いているのかいないのか?説明そのものを楽しむかのようで、笑顔はたえません。

 そのうち、注意されていることには気づいたのか、逆ギレ状態になってしまいました。

 しばらくして、ダダがなにか書き始めました。それは「石を投げないでする。」からはじまり、「ぼくはあやまります。」ときて、「だいじょうぶ、コワレタキカイです!しつもんばかりしないでね!?」で終わる、ダダなりの謝罪文でした。

 まあ、なにかたいへんなことだったのだ!ということは伝わったかな?と感じました。

 夕刻、電話を入れると、「では7:45頃、家に来てください。」ということでしたので、それまでに、夕食をすませました。

 二回の電話では、ダダの障害についてはお話ししませんでした。別に、障害のあるなしの問題ではないし、ダダを見れば、気づかれるかもしれないが、話の流れで「しつけ」や「障害」の話になれば、理解してもらうように、説明しようとダダ父と決めました。

 それで、「自閉症の手引き」を持っていくことにしました。

 出発の時間になり、ダダを促すと、すんなり、コートを着てくれます。靴を履くときに、ダダがあわてて台所にとって返し、もってきたのは、自分の謝罪文と「石を投げたらどうなる」の説明の絵。それを持って、車の持ち主の家に行きました。

 ダダ父と「まあ、誠心誠意でいきましょう」と話しながら、それでもブルーな気持ちに変わりはありません。

 チャイムを鳴らし、ドアから出てこられた人は、ビックリするほど優しそうな50才くらいの男性でした。

 ならんで、お詫びを言い、ダダにも「ごめんなさい」を促すと、少し笑ってはいましたが「ごめんなさ〜い」と言うことが出来ました。

 それから、車の傷を見せてもらい、ダダにもそれを見せ、「坊や、石を投げるのは危ないことだよ。こんな傷が付くんだよ」と話してもらいました。

 もう少し怒って言って欲しかったけど、その人は、本当に語りかけるようにお話をされました。

 傷は、想像していたより小さく豆粒ほど。車も15年選手くらいの国産のセダン車。
 だからなんだというわけではないけど、すこし、ホッとしました。

 ダダ父だけが、玄関に入り、結構長い間話をしていました。
 ダダと私が外で傘を差して、待っていると、急にダダが「読んで!読んで!」といいます。
 
 よく聞いてみると、ダダは自分の書いた謝罪文を、その人に読んで聞かせたかったようです。

 けれども、ダダ表現満載のその文章は、まったくダダのことを知らない人が聞いて、理解できる代物ではありません。

 それで、「ダダの言いたいことはよくわかったから、ここはお父さんに任せましょう。お父さんの番です。」と伝えると、気持ちを抑えてくれました。

 ようやくお話が終わり、ダダ父と玄関から出てこられたので、もう一度、ダダと私で謝りました。

 「もう石を投げたらダメだよ。」とダダに優しく声をかけてくださいました。

 3人とも車に乗り込んでから、いったいどうなったのか、ダダ父に聞いてみると、
 
「教頭先生の方から、障害児学級に通われているお子さんだとうかがいました。自立登校に向けて少しずつ手を離されていることも…。学校の方に電話をしたのは、立ち番の大人が近くにおられたのに、止めようとされていなかったからです。それに、やはり登下校の子どもたちの様子も、学校は把握しておかれた方がよいと思いました。豆粒ほどの傷なので、自分でペイントしますので、弁償はけっこうです。これから、石を投げないことを、指導をされるように…とても危険なことですからね。」
と、言われたそうです。

 名刺を交換すると、そこには「○○医療福祉専門学校」の文字。
 今度近くの市に分校を開校するため、その準備室に来られた、理学療法士のチーフの方でした。

 持っていった「自閉症の手引き」は菓子折に添えてお渡ししました。

 最悪の場合、恫喝されるのを覚悟で、たずねましたので、体中の力が抜ける思いでした。

 ダダの運というか、もって生まれた星というか、

「石を投げても、福祉にあたる」

 こういう縁を、不思議に思いました。

 それに、やはりこの年末に多大な出費には、頭痛がする思いだったので、もう「不幸中の幸い」「地獄で仏」…いやーホントに助かりました。

 菓子折を買ったとき、もう一つ、ダダ父に「きっと、今夜は飲まにゃアカンと思う…」と私のために買ってもらった「ウオッカ」。
 今も、冷凍庫で、キンキンに冷えています。

 「石を投げる」事件…いろんな意味で、よい教訓となりました。


終わり




ハルヤンネ@(有)おめめどう