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ハルヤンネのコラム

す べては、早くてよい出会い 

2004 年のTEACCH研での発表
  
土 日は基本的に休み

窓 からの風景は

雪 遊び、ネット遊び

決 断の嵐

い きなり核心

二極化

言っ てること

い くつもが、解決していく

レイルマン・レイルマン2を売り切りにするわけ

必要なんは療育ちゃうで

ABA での訓練(当時の一般的な風景)

私の療育のイメージ

それぞれ

送られてきた野菜

いうてきても

やってみたらいいよ

視覚支援の大事さを知って頂くために

自立課題とか自立課題学習について

大丈夫じゃないです

外向けのアプローチのことや障害のあるご本人の使いやすさ

コミュニケーションの方法が0

解決する、楽になるという 実感

ご褒美には段階がある

一番最初はどこから?

あるお子さんへの告知


必要なのは言うてくるまでなにもしない、あなた自身です


風に向かうおばさん
す べては、早くてよい出会い
(2003.08.26 三重県でのシンポジウム発表原稿・最後に2011.05.04の感慨)

 ダダは、三歳9ヶ月で自閉症の診断をされました。

 ダダの障害がわかって、二回だけ泣きました。一度目は診断されたとき。障害があるということがどういうことかを知らないということで、恐怖感、不安感、 そして、不幸にも思いました。二回目は、自分のしてきた楽しいことを、ダダが出来ないンだと思ったとき。自分の幸せの形が、ダダにとっても同じように幸せ であると傲慢にも考えていたからです。

 けれども、障害受容は、比較的短い期間で、できました。それは「自分の子供であっても1人の人である」と言う風に、考えることが出来たからです。それ は、その時、ダダと私の周りにいた人たちの考えがそうだったから。障害をネガティブなものと考える人たちは、いませんでした。誰もが、たいへんですねとか かわいそうですね、克服を考えていこうとは言わなかった。ただ、具体的な付き合い方を一緒に見つけていきましょうという方向で接して下さいました。

 障害の受容の早さ、深さは、「早くて良い出会い」…それが、すべて。私は、お子さんが自閉症とわかって相談される親御さんにとっても、そういう存在であ りたいと思っています。

 療育施設もない山の中で、ダダに対して学びたいと思ったことは、「ダダは、どうしてこんな行動をするのだろう?」ということ。
 たくさんの本を読みました。けれども、一番の手がかりにしたこと。それが、「どうやら見せた方が良いらしい」というSTさんの言葉です。
 それは、「視覚優位」という障害特性です。そして、TEACCHプログラムとの出会い。

 障害を克服する、なんとか成長させる、こうすれば、大人は困らないと言った内容の書籍や情報が多い中、TEACCHだけが、自閉症の障害特性、自閉症本 人のことを教えてくれました。

 TEACCHプログラム…「早くて良い出会い」がここでも、また一つあります。障害特性を学ぶことは、「自閉症の世界を知ること」。レイルマンの副題 「自閉症文化への道しるべ」は、私がダダへ何を一番に考えてきたからの表れです。

 TEACCHプログラムを学ぶために、その頃、大阪や神戸で、わずかに行われていた勉強会へ足を運びました。そこで、早くから神戸でTEACCHを取り 入れておられたkingstoneさんや東やまた工房の中山さんとの出会いがありました。
 目から鱗の連続。そして、さっそく家で取り入れてみる。

 けれども、田舎に住んでいる私が、遠い街で学ぶのは、たいへんなことでした。まず、ダダを預けるところがありません。夫婦で交代に半分ずつ参加したり、 預けることが出来ないため、あきらめることもありました。

 私は、勉強会に「託児があれば、もっと多くの親御さんが、気兼ねすることなく聞けるのに」という思いでいっぱいになりました。

それが、私の「託児」への出発点です。

 書物や講演会で学んだスケジュールや構造化ということを、家庭では取り入れていき、保育所や幼稚園では加配の保母さんに理解して頂きながら、ダダは少し ずつ「こちらの世界の仕組み」を知っていきました。
 
 就学を迎え、いよいよ小学生。
 けれども、今でこそ、教科書的にいわれる「視覚支援」といった障害特性にそった自閉症の援助、教育について、私の住んでいる田舎の先生方では、誰1人ご 存じない状態でした。

 「言うたら、わかります」「はじめは、ふれあうことで関係作りを」…長く行われてきた障害児に対する考え方が主流でした。

 ダダの安定して楽しい学校生活を送って欲しい。そのためにはダダの学校の先生方に、自閉症とはを知ってもらわなければ…それが、ダダがお世話になった STさん、子供センターの心理士さんなどを巻き込んで、地域の人も自閉症のことを知ってもらおうという大きな計画になります。

 1999年春、TEACCHプログラムをベースとした研究会をスタートさせました。

 そして、講演会には、託児を。いまでこそ、全国的に有名になってしまったTAS(丹波自閉症協会)の託児を最初からはじめます。

 初回35名から、そして、最高66名の自閉症児やそのご兄弟を受け入れることが、どうして出来たのでしょう。

 それには、もちろん、たくさんのボランティアさんの力が必要です。

 TASでは、高校生が主力となり、その脇を固めるように、一般の方そして、大学生が参加して下さいます。昨年からは、中学生も各学校から生徒会活動の一 環として、参加して下さるようになりました。

 若い人たちが、自分たちの開いている時間に、参加ができる。

 でも、1人1人が、何をしていいのかが、はっきりとわかっているからこそ、それがスムーズになります。そのために、託児ルームには、構造化、スケジュー ル、視覚支援といった特性に添った援助を取り入れることが絶対に必要です。誰もが見てわかる。自閉症のお子さんに居心地の良い環境は、ボランティアさんに も居心地がよい環境になりました。そして、、誰でもができるような簡略な託児のポイント、簡単な自閉症の説明を紙にして配ること。

 親御さんには、お子さんの特長を書いた「サポートペーパー」。 聞かなくても、はじまりと終わりが迷わずわかるシステム。 徹底的に効率化と合理性。

 他にも、講演会自体を作り上げるために、1人1人が、「自分が、今そこで何をすればいいのか」をわかりやすいようにするために、完全分業制にしました。 「自分が出来ることを、出来る分だけ、持ち寄って」

 それは、地域の人たちの協力も得やすく、受付に図書販売に、そして、設営だけに…といった形の参加をしてくださいます。そして、この託児を含めた、講演 会活動そのものが、 自閉症理解のための「草の根」運動になっています。

 障害児教育を目指す大学生。全国の高校生対象のボランティア論文での受賞。福祉だよりに寄せられる、中学生の感想。

 そう、若い人たちが、自閉症との「早くて良い出会い」になっているのです。

 TASは、設立当初から、毎回参加者が150名以上の大きな会でした。親御さん、教員、福祉関係者が焼く三分の一ずつ。それまで、誰もが知りたかったの に自閉症のことを学ぶ機会がなかった丹波という山奥に学びの場所が出来たこと。そして、託児があることで、親や・保育士、教員が一緒になって聞ける環境が 整ったからです。

 設立一年後、TAS-Pという親の会が出来ました。
 そして、その翌年には、TAS−Tという教師の会が立ち上がりました。
 
 TAS-PにしてもTAS−Tにしても、「1人ではなく」多くの人が自閉症のお子さんのために、「よりより支援を考えたい」「実践したい」「でも、悩ん でいる」そういう親御さんや先生方の「早くて良い出会い」になっています。

 TASの三つの会によって、丹波では、幼児期から、家庭、そして、学校、地域へ、同じ方向性の支援を考えていくベースが出来つつあります。
 
 「早くて良い出会い」…それは、待っているだけでは、出会うことすらできません。
 そして、出会うだけでは、自分の身になっていきません。
 また、自分だけのものにしていれば、広がりは見せていきません。

 私が、いつも思うことは、「積極的に求めること」そして、「謙虚に耳を傾けること」そして、「必ず、やってみること」。

 最後に「子供達に、周囲に還元すること」がセットになってはじめて、自分の、そして関わる子供達の暮らしに活かされたものになると思います。

 ダダが診断をされた当初からのお付き合いがあったといくらふとの大西さん(syun)は、実際ダダと出かけて頂いたり、メル友になっていただいたり、 TASをはじめてからは、毎回参加して下さいました。とりわけ、自閉症以外の障害についての(たとえば、肢体不自由の方の)支援のことを、キャンプや支援 ネットという会に参加させてもらい、たくさんのことを話して下さいました。

 その自閉症だけでなく「障害を支援すること」についての考えにふれたことで、わかったこと。

 「1人の人である」は、「1人の権利を持つ人である」。

 選び、行動し、責任を取る権利、そして、気持を伝える(コミュニケーション)の権利…障害があるから、コミュニケーションが困難な自閉症だから…そんな ことで、忘れてしまいがちなことを教えてもらいました。

 そして、「出来ないことではなく、出来ることをより確実に出来るようにへ支援する」。 私たちは「杖」であるという姿勢。

 この大西さんとの「早くて良い出会い」は、ともすれば、形骸的で、大人の想いの押しつけになりがちの私のダダに対する「自閉症への支援」が、必ず「本人 を真ん中に」考えること、取り組むこと、意識するようになれただけでなく、今、私がしている託児やレスパイトのベースになっています。
 
 さて、ダダの学校生活は、学校の先生方が理解して下さったこともあって、自閉症の障害特性に添ったスケジュールや構造化、視覚支援を取り入れて、入学当 初から、いろいろ問題はありしましたが、安定したものだと思います。

 5年生の今まで、皆勤。ダダにとって、学校は嫌なものではなく、自分が学ぶ、遊ぶ、過ごすところと理解しています。小学校では、新しい課題が次々あるけ れど、教科や行事にも、工夫によって、参加できる、何とかこなせる。低学年のウチは、その生活を一つずつこなすことに、私も先生方も、どうしても、力が入 りました。

 新しいことでも、何とかわかるように…、みんなと同じじゃなくても、何か一つは、1人で出来るように…そんな援助が続いていきます。もちろん、拒否も、 選択も、認めて下さっていたし、出来ることは増えていきましたが、ダダにとっては、出来ては、すぐ次のこと。わかっては、また、新しいことの繰り返しだっ たのかもしれません。

 三年生の後半、ダダは、自然に「もっとひとりでしたい」という想いを強く持ちはじめます。それが、「脱走」という形で現れました。ダダの想いに、翻弄さ れながら、それでも、止めさせるのではなく、ダダを尊重してはじまった「ひとり駅」(ひとりで駅に行って、学校へ戻ってくるという取り組み)。

 そして、その成功で、ダダは、きっと、こう感じたのでしょう。
 「もっとわかることを、できることをしていたい」。

 4年次は、新学期が始まってすぐ、まったく親学級には入りませんでした。私や先生には困ったことだったこの「親学級拒否」も、やはり、ダダの気持を尊重 することになります。ひまわりの教室(特別支援学級)で、ダダは、出来ることだけ、わかることだけ、したい楽しいと思うことだけで日々を過ごします。

 けれども、はじめた「牛乳瓶のアルバイト」は、そのお金で「コンビニに買い物」へ発展し、もっと遠いお店に行きたいから「自転車」にも乗れました。アル バイトのお金で、大好きな「ひとり電車」もし、得意な「工作」は「切り絵や刺繍などで、表彰もされました。

 一年経って、わかったことは、ダダが、「親学級拒否」をしたことで、どんどん自分の意志で、動き始め、したいことがいっぱいになって、とても生き生きと した暮らしになったということでした。

 なぜでしょう?…それは、私や先生方のダダに対する支援や教育が、ボトムアップからトップダウンへ変わったから。ダダの出来ること、わかること、したい ことを確実に出来るようにしただけだから。

 私は、ダダは自分自身で、暮らしそのものをコントロールしたように思っています。3年生までの、ボトムアップ中心の暮らしに、もしかしたら、疲れていた のかもしれません。そして、なくなりかけた「自信」を、一年かけて、「回復」していったのです。

 だって、今の5年生は、ずっと親学級で、そして、たくさんのお友達とコミュニケーションをとりながら、楽しく過ごしているのですから。
 
 ボトムアップから、トップダウンへの変化は、ダダの周囲の関わり方も変えていきました。ダダのしたいをサポートするだけであれば、支援者は手をさしのべ やすい。「ひとり駅」や「ひとり電車」での、たくさんの駅員さん、ファミレスのウエイトレスさん、コンビニのレジの兄さん…同じ村の仕出し屋や同級生の家 族、そして、プールや、レストランへ一緒に行く若いサポーターさん。

 自分の出来るときに、出来る分だけ、「ダダのしたい」をサポートしてくれるようになりました。

 サポートしてくれる地域の人たちとの出会いももちろん「良い出会い」ですが、でも、それが出来たのは、ダダの暮らしが変化したからです。私は、その変化 のきっかけになった「脱走」や「親学級拒否」といったダダの(一見困った)行動、それこそが、「早くて良い出会い」に他ならないと思っています。

 今までお話ししたような、早くて良い出会いが、私やダダにあったことは、とても幸せなことです。

 山の中の小さな街に住んで、大きな療育施設もなく、発達障害を知る医者もいない、「自閉症って何?」そんな中でしたことは、「積極的に求めること」でし た。

 待っているだけでは、なにもならない。福祉のサービスを受けるのも、そうですが、こちらから、迷いながらでも「求める」ことが、まず必要だと思います。

 そして、それが、どんな出会いかはわかりません。それが「良い出会い」かどうかも…。もちろん実際には、もっとたくさんの出会いがあります。ツライ話 も、ネガティブな出会いも、とんでもないものも。気持が揺れるものも。けれども、その中で、私は、選択してきたんですね。

 誰の言葉を手がかりにしよう…どんな書物を参考にしよう、どういう支援を考えよう…そんなときに、基準としたのは、必ず「私にとってどうかな?」ではな く、「ダダにとってどうかな?」だったのです。

 確かに、診断を下されたときは、本当にツライ気持になります。人によっては、慰めも必要かもしれません。でも、それだけじゃ、ダダには何も返らない。ダ ダは、ずっと、しんどいままだと思いました。

 ダダがわかりやすい、楽な暮らしをしなくちゃ…だって、ダダの人生でしょう。

 「子どもが楽になって、はじめて親が楽になる。逆は真ならず」これが、私のポリシー

 子どもに楽になってもらうためには、まず、その子どもの世界を知らないといけない…子どもの世界とは、「自閉症」が子どもにどういう影響を与えているか です。つまりその障害特性を知ること。

 そして、デマンドではなく、ニードに添うこと。 これは、『レイルマン』の前書きを書いて下さった門眞一郎先生に教えて頂いた言葉。

 親のデマンド…大人がそうあって欲しい、こうしたい、して欲しくないといった大人からの要求。
 子のニード…子どもが、こうしたい、そうありたくない、して欲しいという子どもの必要性。

 「障害特性」と「ニード」…「自閉症の世界」と「子ども自身」の二つに添って、出会いを選べば、それは、必ず「良い出会い」。 そして、その二つと、一 致しているのが、私にとってのTEACCHプログラム。

 けれども、「良い出会い」があっても、それに「謙虚に耳を傾け、そして、必ずやってみること」がなくては、やっぱり子ども本人の身になりません。

 こういう講演会にも、参加して、わかった気になるけれど、実際、家で、現場で、その知識や知恵を、一つでも試してみる、やってみるは、実は、それほど簡 単なことではありません。ちょっとしたハードルがあります。それは、「動く」ということ。「わかり」そして、「動く」それが、あってはじめて、「良い出会 い」が形になっていくのだと思います。

 幸い、私は「良い出会い」に「早くて」がつきました。でも、ものすごく早いと言うわけではありません。

 最近では、診断も早くなり、1歳半で、自閉症がわかると、もう、2歳代から、自閉症の特性への援助がはじめられます。実際、はじめておられる親御さん も、たくさんおられます。そして、良い情報が、求めさえすれば手に入る。明石さんや私が後書きを書かせて頂いた戸部けいこ先生の『光とともに…』。幼児期 のお母さんはもちろん、自閉症児・者に携わる人だけでなく周囲の一般の人たちにも、是非手にして欲しい本です。

 また、第二 巻の後書きを書かれたREIKOさんが作られているような、どんな工夫をすればいいのか、映像で見ることが出来る優れたHPもいっぱいあります。 だから、今は、もっと早くから子どもに添った援助を考えていけるようになっているでしょう。
 
 けれども、残念なことに、長い間「良い出会い」に巡り会えなくて、大きくなられた自閉症の方や親御さん、先生方がおられるのも事実です。

 いろんな活動をしていると、年長のお子さんを持つ親御さんからの相談もあります。
 「今からでも、遅くはないでしょうか?」

 私は、11歳のダダしか知らないけれど、でも、言えることは、「障害特性は、一生あるもの」そして、「年齢による暮らしがあること」。

 子どものニードに添うことは、子どもを尊重すること、突き詰めていけば、子どもの人権を保障することです。年長の方になればなるほど、その支援は、その 人の暮らし、年齢、権利が尊重されたものであって欲しいとお話しします。

 早いに越したことはないけれど、「良い出会い」があれば、そこからはじめたらいい。どこからでもいい、「謙虚に耳をかたむける」ことが出来れば、「はじ めてみましょう」そこからです。

 「すべては、早くて良い出会い」…今までは、私や先生や周囲の大人が、出会って、ダダに返してきたもの。

 でも、これからは、ダダ自身が「良い出会い」をしていくでしょう。私の出る幕は、どんどん少なくなっていくはずですし、そうなって当たり前。

 私の出来ることは、ただ、環境を整えることだけだと思っています。環境とは、わかりやすいダダの生活空間「物理的環境」と自閉症を正しく理解してくれる 人達「人的環境」。それさえすれば、ダダは、彼自身で「良い出会い」を繰り返していくに違いないと私は思っています。

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2003.08.26 おめめどうの起業の一年前だね〜

 今だと、こんな風に考えないかもしれない。グッズも揃ってるし、ネットがあるから仲間も作りやすいし。もっと、楽に、自分らしくやっていけるかな。

 良い出会いさえ、はやくにできれば ね

注:これは、発達障害支援センターの発足の会でTEACCH系の色を濃くする必要がありました(その頃の雰囲気)

 でも、その後は、離れていくようになったのは、やっぱり、おめめどうグッズを作ってからですね。人権的な選択活動と、コミュニケーションの表出がその頃 のTEACCHでは、あまり言われなくて距離を置くようにはなりました。

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